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吉田照美との芸術談義 ~50歳を超えて油画アーティストに~

今回、芸術談義にゲストとしてお迎えするのはアナウンサー、ラジオパーソナリティ、司会者として活躍する吉田照美さん。TVやラジオで活躍しながらも、2005年頃より本格的に油彩に取り組むようになり、たびたび個展も開催しています。50歳を過ぎてから芸術の道を歩むようになった吉田さんに、画を描く魅力について語ってもらいました。

画のように年齢を忘れて
何かに打ち込めるというのは幸せなことですーー吉田

倉本:10年前くらいに文化放送にお邪魔した時、ロビーに大きな絵が飾られていて“面白い画だし、迫力があるな”と思って見たら吉田さんの作品でした。その時に初めて、吉田さんが画を描かれるのだと知りました。

吉田:あの作品は僕が最初に開いた個展で、文化放送に買っていただいた作品で、TOKIOの「宙船」にハマって描きました。大勢の方から好評をいただいたのですが、子役の(鈴木)福くんがあの絵を見て、“怖い”って泣いたエピソードもあって。絵ってほんと面白いなと思います。

倉本:なんでこんなに描くがお上手なのですか?

吉田:自分で画が上手いとは思っていません。子供の頃から図画工作や美術の時間が好きで、絵をやりたい気持ちはありましたが、“食べていけない”という大人の声もありましてね(笑)。ずっと画は描いていませんでしたが、50歳の頃に四苦八苦しながら色鉛筆画をはじめました。ペーター佐藤さんが好きで、同じ色鉛筆を揃えましたね。でも、最終的に物真似で終わって、そこから先に進めず挫折しました。そのあとで水彩画に挑戦しましたが、僕がやるとどうも滲みがわざとらしくなって、これもダメだなと思っていた矢先に、たまたま番組のゲストに八代亜紀さんがおみえになって、八代さんの自画像がすごく気に入ってしまって。その後で八代さんがご自宅で油絵教室を始めることになり、ご近所だったこともあり通いはじめました。基本的には八代さんの兄弟弟子の人が教えてくれて、 一回だけですがご本人にアドバイスをいただいたこともありました。そこに一年くらい通い、あとは自分でやるようになりました。

倉本:50歳になって、あらためて画をはじめたきっかけは何でしたか?

吉田:やっぱり、ずっと画をやりたいと思っていたからですね。色鉛筆、水彩を経ましたが、キャンバスに油絵の具で描くという体験が大きかったです。失敗が許されるっていうユルさがあるのも、油画にハマった大きな要因でした。 ダメなら全部塗り潰しちゃえば、また新たに描けますから。グランマ・モーゼスというアメリカ人のおばあちゃんの画家は、70歳を過ぎてから初めて絵筆を持ったそうで“思いついたが吉日”でいいのかなと。 仕事ではラジオDJを長い間やらせてもらっていますが、それとは別で、画のように年齢を忘れて、何かに打ち込めるというのは幸せなことだと思います。

吉田さんに「これやん」に参加してほしいと思ったのは
ダリと同じタッチを感じたからーー倉本

倉持:吉田さんはシュルレアリスムに近い感じの絵を描いていらっしゃいますよね。

吉田:僕にとって一番の画家はダリで、確か中学生の頃に時計がぐにゃっと曲がったあの絵以上に衝撃を受けた作品はありません。ああいうものがいつか描けたらいいなという夢はありますね。

倉本:僕もダリに衝撃を受けたひとりで、彼は夢に非常にこだわっていました。だから見る人も、自分の夢を追体験するような感覚を覚えると思います。 僕が吉田さんの絵を見て「これやん」に参加してほしいなと思ったのは、ダリと同じタッチを感じたからです。同じものを好きな人の作品だと、ピンときました。

吉田:それはラッキーでした。僕は漫画家のつげ義春さんも好きで『ねじ式』は自分の見た夢をそのまま描いた作品です。 つげさんはあの作品で漫画という表現のレベルを一段階上げた方だと思っています。

倉本:アートの表現を初めて漫画でやったのがあの作品でしたよね。僕もリアルタイムで読んで衝撃を受けましたし、ダリの絵を見たときも近いものを感じました。

吉田:夢というのは、人間が自分自身で自覚していない何かを表現してくれる、一種のアートだなと思います。だから僕は“不思議な夢”っていうテーマで、ずっと描き続けていて、実際に自分が見た夢をそのまま絵にしたりと、描きたいことをそのまま描いています。

倉本: 例えば絵を買うというのは、日本人にとってあまり馴染みのない行為ですよね。「これやん」は僕が面白いと思ったアーティストの方に出品をお願いして、“これいいな、好きだな”と思うものが、手に入る状況を作りたいと思っています。

吉田:人間は表現したい気持ちを、誰もが持っているんです。それに、画って誰でも描けると思うから、もうちょっと身近なものになったらいいなと、僕も思います。めちゃくちゃ高い値段が付いた画もあるなかで、それで食べていける人って現実的に少ないわけです。日本人の絵に関する知識や認識がもっと高くなると、面白くなると思いますね。

倉本:吉田さんは「三軌会」に所属して、評議員をやられているそうですね。

吉田: 「三軌展」は年に一回あって、その時は130号くらいのでかい絵を描いて賞を狙います。なかなかに狭き門ですが、一度賞をいただいたことがあります。「三軌展」は新人から老練な方まで関係なく競っているわけで、その意味において面白いです。僕には画商さんがついているので“ハガキ一枚サイズでいくら”という値段がついているので、だから値段を見て“ふざけんなよ”と思う人もいると思います(笑)。でも、値というのは一度決まったら下げられなくて、そこが絵の世界における柔軟性のなさだとは思います。で、“ふざけんなよ”からのつながりですが、僕は最近ふざけて『ロバマン』というバカ映画に出ました。(TOCANA配給で2020年1月より全国順次ロードショー) 日本バカ映画界の巨匠、河崎実監督(『いかレスラー』『日本以外全部沈没』)の作品で“ロバに似ている”と言われて主演しました。

倉本:(笑)。「三軌展」に毎年出品されて画力がついたのでしょうね。

吉田:そんなこともないとは思います。僕の先生や大先生の作品を見ると技術はすごいと思いますが、見る人にとっては技術だけが大切なことではないですし、やっぱりその作品がどれだけ見た人に届くかどうか、ですから。映画でも画でも結局は表現方法であって、根本はそんなに変わらないことが、最近になってわかってきて、面白いなと思います。技術は稚拙でも届くものってあるじゃないですか。だから僕も人に届く絵を描き続けたいなと思っています。

吉田照美先生の作品はコチラ

1971年早稲田大学政治経済学部経済学科入学、1974年文化放送に入社。1985年退社してフリーのパーソナリティとなる。ラジオでは「セイ! ヤング」「てるてるワイド」「やる気MAN MAN!」などのヒット番組を生み、テレビではフジテレビ「夕やけニャンニャン」、日本テレビ「11PM」で司会を務める。俳優としても活躍しており、2002年映画「バネ式」で監督デビュー、2020年には映画「ロバマン」で主役を演じた(TOCANA配給で2020年1月より全国順次ロードショー)。2005年から本格的に油彩に取り組み、個展も数多く開催。三軌会に所属し、評議委員を担う。

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