長年、これやんにご参加いただいているアーティスト、しりあがり寿先生。
今回は2022年の個展で発表された作品をこれやんにて一挙販売いたします。
販売作品にまつわる制作スタイルやコンセプトについて、しりあがり先生のインタビューをお届けします。
倉本今回お持ちいただいたのは、2022年の個展「焚書坑寿」に出品された作品です。この展示はどんなコンセプトでしたか?
しりあがりこのところ、僕は"劣化"をテーマにいろんなものがダメになっていくさまを見せようとして、絵を削ってみたり、焼いたりしていました。「焚書坑寿」は開催場所が本屋さんだったから、それなら思い切って、言葉を焼こうかなって。なんか今って、ネットだったりなんだりに、とにかくいろんな言葉があふれているじゃないですか。よい言葉もあるけど、ひどい言葉や陳腐な言葉もあふれすぎ。だから一度、言葉を焼いて無くして、昔からあるいい言葉だけを残したいと思って表現しました。
倉本焚書坑寿の作品に書かれている言葉は、どんな基準で選んだのですか?
しりあがりなかには自分が中学校の頃に読んだ本の言葉があったり、最近見たものでも"これすごくいいな”と思ったものもあります。あとは自分が描いた漫画のなかでなんだか笑えちゃうものも。あと、今という世の中の世相に合わせて選んだものもあります。ここにあるのはすべて、焼け残った言葉たちです。他の言葉は、僕のアタマのなかで焼き尽くしました(笑)。
倉本そう言われると、ここに書かれている言葉の価値というのが上がる気がしますね。ちなみに作品によって焼き加減も異なっていますが、焼いていくときに基準のようなものはありますか?
しりあがりそうだなぁ、焼いててアニサキスが死んだなって思ったらやめますね。なので、土佐造りと同じです。
倉本(笑)。
しりあがりそれはさておき、劣化って究極には、恐らく周囲と区別がなくなることだと思うんです。死ぬというのも、細胞壁がなくなり、周辺と混ざって無くなっていくのがミニマムなカタチだと思っていて。ダメになるってのも、そういうことかなと。だから、それが字なら読めなくなるし、木だったら土と区別がつかなくなっていく。すべてはその過程だと思っています。ですから、まぁ、読めなくても仕方がないかなと。
倉本"燃やす"という手法のどんなところに魅力を感じていますか?
しりあがりこれまでも絵を削ることで劣化の表現をしていましたが、燃やすというのはその延長線ではなくて、枝分かれした表現なんです。先ほど話した劣化していくことは、他との区別がなくなる……つまりは調和の方向に向かうはずですが、焼くと調和せずに周辺との対立が出てきて、絵と絵じゃない部分の間に緊張感が生まれてくる。僕は劣化の表現をするとき、いつも作品の縁の部分をどうしようか、悩んでいました。本当はもっと作品の端と作品の外側、例えば作品と作品を掛けている壁との境界線を無くしたいんだけど、それをやると持ち運びができないものになっちゃうし、展示場所にも迷惑がかかっちゃう。だから自分のなかでは暫定的というか、作品を燃やすことで収まりがついているって感じです。燃やすことで絵はまわりから攻められていて、絵自体は抵抗しているっていう関係性ができあがっているんです。
倉本ちなみに燃やす作業はどこで行っているんですか?
しりあがりそれはねぇ……ないしょです。